1.下山後、山旅を終えて富山市へ向かった夜
雨に打たれ続け、五日間ほとんど体も洗っていない。
長い山旅を終えたその夜、私たちは土砂降りの雨の中、富山県・折立の登山口からアパホテル富山ステイへと車を走らせていた。
後部座席には、76歳の母。
疲れているはずなのに、どこか楽しそうに、山旅を振り返っている。
五日間、雨から身を守る場所もほとんどない山で過ごしてきた。
それが今、車の中で雨を凌ぎながら、母と旅の話をしている。
その状況が、少し不思議に感じられた。
2. 普通が、こんなにも贅沢に感じた夜
雨音を聞きながら車を走らせているうちに、
少しずつ街の灯りが増えていった。
五日間、雨から身を守る場所もほとんどない山の中にいたせいか、
フロントガラス越しに見る信号やコンビニの明かりが、やけに明るく感じる。
最初に現れたのはセブンイレブンだった。
私は迷わずコカ・コーラと、生クリームたっぷりの甘いデザートを手に取る。
ほんの数時間前まで、濡れた登山道を歩いていたとは思えない光景だった。
3.普通が、こんなにも贅沢に感じた夜
アパホテルに到着し、母と部屋は別々に、隣同士にしてもらった。
ビジネスホテルの勝手が分からない母を、自然とサポートする形になる。

ランドリーで五日分の洗濯物を回し、
豪華なサウナで体を整える。

夜にはカレーが無料で出てきて、
アルコールは飲み放題。
トイレは水洗でウォシュレット、部屋にも廊下にもある。
あまりにも、先ほどまでいた場所とは別世界だった。
この「普通」が、こんなにも贅沢に感じるのは、
長い時間、不自由な山の中にいたからなのだろう。
4.「私も行きたい」その一言から始まった
今回の旅の始まりは、
私が唐松岳〜五竜岳の縦走を終え、
夏季休暇を使って黒部源流域を歩く予定だと母に話した時だった。
後日、母はぽつりとこう言った。
「私も、行きたい。」
その一言で、すべてが動き出した。
5.76歳という数字と、消えなかった不安
正直、不安はあった。
母は五竜岳の下山中に転倒し、左手首を骨折していた。
出発日までに治るかどうか。
治療に専念するため、登山はできず、体力低下は避けられない。

しかも目的地は、北アルプスの最奥地・黒部源流域。
距離も長く、決して楽な山行ではない。
「大丈夫かな」という思いと、
小学生の頃に母と歩いた道を、
もう一度一緒に歩けるかもしれないという期待。
その二つが、ずっと心の中にあった。
6.それでも母は、前を向いていた
母は言った。
「行けるように、できる限り頑張るよ。」
それから母は、
日常の中でできることを、淡々と続けていた。
エレベーターではなく階段を使う。
特別なことはしない。ただ、歩く。
八月後半、医師から登山の許可が出た時、
母の表情に、安堵とやる気が同時に浮かんだのを覚えている。
7.登る前から、もう旅は始まっていた
熊によるテント場閉鎖、
山行中ずっと雨予報。
悩んだ末、今回は小屋泊に切り替えた。
そして登山前日、
私たちは折立駐車場で初めての車中泊を迎える。
狭い車内で、テーブルを出し、
一緒にご飯の準備をする。

熊を警戒して、夜のトイレは二人で行動。
何気ないことばかりなのに、
それが不思議と楽しかった。
この時すでに、
旅は始まっていたのだと思う。
8.これから、時間を少しずつ巻き戻していく
こうして、
76歳の母と歩いた黒部源流域、五日間の旅が始まった。
雨に試され、
出会いに励まされ、
一歩ずつ積み重ねていった時間。
次回から、
この旅を一日ずつ、振り返っていこうと思う。
Instagramでも旅の記録を映像で綴っています。アカウント@tk.zero123


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