鳥海山の山頂で、雲海から昇る朝陽を母と見ていた。
だいぶ遠くまで来たな、と心の中で思った。
母は77歳。この場所に母といられるのは、当たり前のことではない。私はこの時間を噛み締めていた。

千葉から車で約600km、77歳の母と登った鳥海山1泊2日の山旅。2日目は、午前4時の暗闇から始まりました。
この日、私たちは前夜に立てた計画を、朝になって変更します。そしてその判断が、この山行を決定づけることになりました。
▶ 1日目の記事はこちら|象潟口(鉾立)から千蛇谷を経て、山頂の御室小屋へ
午前3時、母のひと言で予定が変わった
個室は暑くて、夜中に何度も目が覚めました。標高2,200mの山小屋なのに、と思いますが、こればかりは仕方がありません。
3時。私も母も、もう完全に目覚めていました。
そこで母が突然、こう言ったのです。
「新山で御来光を見よう」
前夜に決めていたのは、外輪山で日の出を見て、新山は朝食後の明るくなってから登る、という計画でした。新山は険しい岩場なので、暗いうちに登るのは避けようと考えていたのです。
でも母の提案には理があります。先に新山を済ませてしまえば、この日の行程が時間的にずいぶん楽になる。私たちは超スローペースですから、時間の余裕は何よりの武器です。
計画変更。4時、ヘッドランプを点けて暗闇の中を出発しました。
結論から言えば、この判断は大正解でした。母がこの提案をしてくれなかったら、この日はもっと苦しい山行になっていたと思います。
いきなり、他人に話しかける母
小屋を出た瞬間、母は目が見えていないのか、私ではない人の方へ真っ直ぐ歩いていき、こう話しかけました。
「はるき、ヘッドライトちゃんと付いてる?」
話しかけられた方は、いきなりお婆ちゃんに息子の名前で呼ばれて、少しびっくりしていました。
そんな感じの、朝のスタートです。
暗闇の新山アタック ― 母は三点支持で登っていく
新山方面を見ると、まだ登り出している人は一人もいませんでした。
「よし、行こう」
新山は、御室小屋の裏手から岩場をよじ登っていくルートです。標高2,236m、鳥海山の最高地点であり、火口内に生まれた中央火口丘。ゴロゴロとした巨岩が積み重なった、独特の山頂部です。
暗いうちは、私が先に歩きました。後ろから母がついてきます。
母は小柄なので、大きな岩に対しては手足が届きにくい。三点支持を守りながら、時にはお尻も使って体を持ち上げ、一段ずつ確実に越えていきます。傍から見れば危なっかしいのですが、本人はいたって落ち着いています。

4時20分頃、あたりが明るくなり始めました。
途中、高く切り立った岩の隙間を通る箇所があります。少しスリルがあって、個人的には楽しいところ。ここでは母もゆっくり慎重に、座り込みながら一歩ずつ進みました。

昨日の彼女と、再会する
後ろから来た方に道を譲ると、なんと昨日の登りでお会いしたあの方でした。
千蛇谷で追い抜いた、スローペースの女性です。
暗いうちから新山を目指していたことに驚きました。聞けば、同部屋になった女性と一緒に登っているとのこと。
「一緒に頑張りましょう」
ここから3人で山頂を目指すことになりました。前日にすれ違っただけの相手と、翌朝、暗闇の岩場を一緒に登っている。山ではこういうことが起こります。
4:35 新山山頂 ― 7人だけの御来光
4時35分、山頂に到着。
まだ御来光の前でした。
新山の山頂は非常に狭く、岩に囲まれたわずかなスペースしかありません。この時いたのは7人。少なく感じるかもしれませんが、山頂の狭さを考えると、これがちょうど良い人数でした。
母とグータッチを交わします。
その瞬間、周りから声が上がりました。
「太陽出てきたよ」
オレンジ色に輝く雲海の中から、太陽が姿を現しました。
凄く綺麗だ。
ここまで良く来たな、と母と朝日を見ながら思いました。
昨日、コースタイムの倍近くかけて登った道。膝の違和感を抱えながら止まらなかった足。それが全部、この5分間につながっている。
黄金に輝いた、母の白髪
途中から一緒に登ってきた女性が、母と私の山頂での写真を撮ってくれました。
朝陽を浴びた母の笑顔と白髪が黄金色に輝いて、最高の一枚になりました。自分たちでは絶対に撮れない写真です。

日本海側には、影鳥海も見えました。
御来光を受けた鳥海山の影が、日本海にピラミッドのように浮かび上がる現象です。山頂に泊まった人だけが狙える光景で、御室小屋泊の大きな役得と言っていいと思います。

下山 ― 「胎内に入りまーす」
朝食は5時30分。全員で下山を開始しました。
朝露のせいか岩場が濡れていて、非常に滑ります。「気を付けましょう」と声を掛け合いながら、慎重に下っていきました。
新山には胎内くぐりと呼ばれる場所があります。巨岩の隙間を、身を屈めてくぐり抜ける道です。狭くて暗く、抜けた先で光が差す。名前の通り、生まれ直すような通過儀礼めいた場所です。
ここは私が先頭を歩き、続いて母が入りました。
すると母が、後ろの方々に向かってこう声をかけたのです。
「胎内に入りまーす。頭気を付けて下さーい」
なんだかおかしくて、笑ってしまいました。
胎内から「よっこらしょ」と出てくる母を見て、まだまだ元気だなと安心しました。

一体感のあった即席パーティーも、ここからは各々のペースで歩き出します。私と母と、あのスローペースの女性の3人で山小屋まで降りました。
朝食の3分前に到着。そのまま直接、朝食に向かいます。
卵、海苔、漬物、味噌汁。シンプルな内容ですが、その分だけ荷物を軽くできるのがありがたい。山小屋の食事は、こういう価値の測り方をします。

6:40 外輪山へ ― 下ってから、思った以上の登り返し
6時40分、外輪山方面から下山を開始しました。
先に新山を登っておいたことが、ここで大きな時間的余裕になります。**朝のとっさの変更は、やはり正解でした。**母が新山へ行こうと言ってくれて良かった。
歩き始めてすぐ、母がトレッキングポールを持っていないことに気づきました。山小屋に忘れてきています。出発直後だったのが不幸中の幸いでした。
外輪山へは、一度下ってから思っていた以上の登り返しがあります。地味にきつい区間です。
ところが母が元気に登っていく。膝の調子は、登りにはそこまで影響がないようです。

七高山で、また出会う
登りきると、七高山と伏拝岳の分岐に出ます。
七高山(2,229m)は新山に次ぐ鳥海山第2の高峰で、外輪山の最高点。すぐ近くだったので、進路とは逆方向でしたが行ってみることにしました。
すると、新山で一緒に御来光を見たご夫婦と再会。
母は高齢ということもあってか、出会った人からよく声をかけてもらえます。このご夫婦ともここでたくさん話をして、一緒に記念撮影もしました。
こういう瞬間に、旅って面白いなと思うものです。
七高山から見ると、朝登った新山が反対側に見えています。改めて眺めると、凄く鋭く、岩々しい山であることが分かる。
よく登ったものだ、と思いました。

天空の道 ― 右手に日本海、左手に雲海
ここからの下山道は、しばらくずっと絶景が続きます。
右手に日本海、左手に雲海。稜線を歩きながら、両側が絶景という贅沢な区間です。
そこで母が雲海の方を指して言いました。
「あれが日本海でしょ」
思わず笑ってしまいました。母の方向音痴は筋金入りです。
下山の方が母の膝にはきついようで、ペースはさらにゆっくりになりました。でも私は、風景をじっくり見られる母のペースがまったく苦になりません。
絶景を見ながら、行者岳、伏拝岳、文殊岳と外輪山を進んでいきます。

今日は青空全開。日差しが容赦なく襲いかかります。腕と首が大変な日焼けになっていないか、そればかり心配していました。
振り返るたび、新山が小さくなっていく。少し寂しい感じがしました。
斜度がきついところもあり、母は後ろ向きになりながら降りる箇所もありました。

11:51 立ちはだかる階段と、歩きながら眠りに落ちそうな私
10:17、遠くに鳥海湖が見えてきました。
まだ遠い。ところどころで休憩を入れながら進みます。
あのスローペースの女性とは、外輪山の稜線で何度も抜きつ抜かれつを繰り返していましたが、外輪山を越えたあたりから会わなくなりました。きっと後ろで奮闘しているのでしょう。ちゃんとお別れの挨拶はしたので、心残りはありません。
11:51、立ちはだかる階段が、とても長く見えました。

これを越えれば御浜小屋まであと少し。ただ、この階段が地味にきつい。
そして、なんだか眠気が急激にきました。
高山病なのか。熱中症なのか。ただの疲労なのか。
一歩が重い。歩きながら本当に眠りに落ちそうな、そんな感覚でした。無言でひたすら歩を進めます。
登りきると、鳥海湖と御浜小屋が見えました。
ここで私の息は吹き返します。急に元気になりました。
母に大丈夫かと聞くと、マイペースで進みながら「大丈夫」と。
私の方が暑さに弱く、何かにやられていたようです。母はゆっくりだけれど、本当に強い。

12:37 御浜小屋
小休憩。持参したパンやカロリーメイトを食べて元気を出します。
ここからはひたすら歩くだけなのですが、何がきついかというと、樹林帯がないのでひたすら日差しを受け続けることです。休憩したくても日陰がない。これが本当にしんどい。
母は一本のポールを使って降りてきます。
元々ノーポール派の母がポールを使うということは、結構膝がしんどかったのだと思います。
休憩していると、日帰り組の人たちとこの日2度目の出会いもありました。母に「頑張れ」と優しい声をかけていただきます。
日帰りで登る人は超人だなあ、と思ってしまいます。

15:48 鉾立にゴール
15時48分、鉾立に戻ってきました。
母とグータッチ。
ゴールです。
疲れ切った私は、鳥海山を登り切った母を改めて凄いなと思いました。
この後は国民休暇村庄内羽黒に宿泊して、母とお疲れ会。
明日は月山を登ります。

2日目のコースタイム
| 時刻 | 地点 |
|---|---|
| 3:00 | 起床(新山での御来光に予定変更) |
| 4:00 | 御室小屋 発(ヘッドランプ点灯) |
| 4:35 | 新山 山頂(2,236m)/御来光・影鳥海 |
| — | 胎内くぐりを経て下山 |
| 5:30 | 御室小屋 朝食 |
| 6:40 | 御室小屋 発(外輪山コースへ) |
| — | 七高山 → 行者岳 → 伏拝岳 → 文殊岳 |
| 12:37 | 御浜小屋 着(小休憩) |
| 15:48 | 鉾立登山口 ゴール |
御室小屋に泊まって新山で御来光を狙う人へ
今回の経験から、これから同じ計画を立てる方に伝えたいことをまとめます。
1. 新山を「朝」に持ってくると、行程が劇的に楽になる
御室小屋から新山山頂までは片道30分ほど。多くの人は明るくなってから登りますが、御来光の時間に合わせて登れば、山頂での感動と時間の節約を同時に得られます。特にスローペースのパーティーには効きます。
2. ただし岩場は暗く、濡れると滑る
新山は巨岩が積み重なった岩場です。ヘッドランプは必須で、両手が使える状態にしておくこと。下りは朝露で岩が濡れて非常に滑るので、明るくなってからでも慎重に。自信がない場合は、無理せず明るくなってから登るのが正解です。
3. 影鳥海は山頂泊の特権
御来光を受けた鳥海山の影が日本海に浮かぶ「影鳥海」は、早朝の限られた時間にしか現れません。山頂に泊まる最大の役得のひとつです。
4. 下山の外輪山コースは、日陰がない
外輪山は文字通りの天空の道で絶景ですが、樹林帯がなく、日差しを遮るものがありません。帽子、日焼け止め、そして水は多めに。私はここで軽くやられました。
5. 膝に不安があるならポールは必ず持つ
登りより下りのほうが膝への負担は大きい。ノーポール派の母がポールを使ったことが、その厳しさを物語っています。
2日間を終えて
1日目、母はコースタイムの倍近くかけて御室小屋にたどり着きました。
2日目、その母が「新山で御来光を見よう」と言い出し、午前4時の暗闇を登り、7人だけの山頂で朝陽を迎えました。
膝に違和感があって、ペースは人の倍かかって、方向音痴で、他人を私と間違えて話しかける77歳。
でも、止まらない。
山では、たくさんの方が母に声をかけてくださいました。新山を一緒に登った女性、写真を撮ってくれた方、七高山で再会したご夫婦、日帰りで登りながら母を励ましてくれた方々。この山行が良いものになったのは、間違いなくその方々のおかげです。
また一つ、母と山を登ることができました。
ありがとう。
(次は月山編に続きます)
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- 登山口 象潟口(鉾立)登山口
- ルート 登り:千蛇谷コース/下り:外輪山コース
- 宿泊 鳥海山頂御室小屋(要予約・シュラフ持参)
- 山頂で見られたもの 御来光、雲海、影鳥海、日本海の大展望
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